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2006年6月28日 (水)

近代は病である

 近代日本がアジア諸国に惨禍をもたらし、アメリカとの戦争へと至った原因は、幕末の屈辱的開国であった。
 司馬遼太郎曰く、「日本は港(股)を開かさせられた」ことや、欧米のそうした侵略に媚び、それを嘲られた鹿鳴館外交の屈辱を、同じアジア人に投影するために侵略した。

 やがてそれが欧米のアジア支配の方針とぶつかり、日本が「テロ国家」として抑圧されたことから、それまでの欧米への屈辱感が爆発したのが、大和魂を標榜しながら人命と人権の浪費に終始した、あの戦時体制であった。

 一方、欧米諸国はこの時代、覇権主義に取り憑かれ、アジアやアフリカ諸国を植民地化し、その住民たちを家畜扱いしていた。

 では何故欧米は、始めから対等に扱うつもりのない日本を、敢えて近代化したのか?

 日本の植民地としての価値は低かった。
 国土が狭く資源に乏しく、島国のため台風その他の自然環境がネックとなった。
 しかもその後ろにはロシアが控え、さらに中国や朝鮮半島への覇権に燃えるイギリスやフランスも、日本を狙っていた。
 安易に占領を図れば、列強間に緊張が高まる危険性もあった。

 アメリカが日本開国を焦った理由としては、列強諸国に対して先手を打つ意味もあった。
 そして日本を本格的に占領せず、列強諸国にも同様の不平等条約を結ぶ余地を残したことは、それらの国々との緊張を緩和する意味もあった。

 しかしながら、日本を中途半端に占領した列強は、日本を単なる搾取対象ではなく、むしろ近代国家の中に引きずり込み、「文明が板につかない猿」として、その最下層に位置づけた。

 そうした列強の対日方針は、宗教心があまり強くないとされるオランダが、日本の近代化を焦ることなく、出島貿易につき合っていたのとは対照的だ。
 であるならば、列強が日本を近代化した動機は、キリスト教がもたらした分裂症、そして近代化自体が屈辱的なものだという、潜在意識であったといえる。

 キリスト教が科学の発展を促したのは、神の領域である知識を手に入れることで、人間が神に成り代わる欲求があったからだ。
 言い換えるなら神を、神の不在を確かめる欲求が、科学であった。
 しかしながら、ダーウィンの「進化論」は、かつて人間が発狂した猿として、自然から弾き出されたトラウマをえぐり出した。
 故にアメリカでは今なお、一部の議員や識者までもが、その信憑性を疑っている。

 また文明や世間とは、自然から隔絶した人間が作り上げた仮想自然である。
 そのため、何か自分が板につかないような不安感や、漠然とした居心地の悪さが屈辱感となる。
 欧米諸国は当初、それを互いの確執にぶつけ合っていた。
 それが欧米の戦乱の歴史となった。

 やがて欧米列強はアジアやアフリカを侵略し、住人を家畜扱いすることに、そのトラウマや屈辱感をぶつけた。
 その仕上げが、自分たち以上に「文明が板につかない猿」を作り出し、そのいたたまれない姿を嘲ることであった。
 列強諸国にとって日本の近代化は、「進化論」によって受けた屈辱を投影する対象であった。

 そして近代とは、押し付けられた宗教に「裏と表」を使う屈辱感から生じた、分裂症に起因する。
 そしてそれを他者へ連鎖させてゆくことが強迫観念となり、その絶望感への誇大妄想として完成した。
 キリスト教が強い伝染性を持ちながら権威主義に陥り、近代化を促進したのは、外面と内面の使い分けが、外面が内面の意思に反して何かに操られていると感じる、被害妄想を伴うからである。

 近代である、ということ自体が病んでいるのである。
 そして近代日本が病んでいたのは、欧米の分裂症にかけられたからだ。

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コメント

「近代は病」とする歴史観は、卓見だと思います。その病んだ近代は白人種が主体となって作り上げたものでしょうが、ことごとく制覇されていったアジアやアフリカに、このカウンターパートとなる強力なものがなかったと見るべきなのでしょうか。
「大航海時代」にその芽はあるのでしょうかね。いずれにしても、文明の衝突が顕在化する現代、地球は1つどころか、ますます、人種、民族、宗教の抜き差しならぬ問題が鮮明になってきたことに気づきます。そして、その前史をなす「病める近代」があったのでしょう。

投稿: submarin | 2006年7月 8日 (土) 11時32分

管理人さんは誰に愚痴を言ってるんですか?
日本語で書かれていることを考えると日本人だと考えるのが妥当だと思われますが、
他人に愚痴って自己嫌悪の憂さ晴らしをしているように私には思えます。
あなたの言葉は他人を相手にしなければ出て来ない言葉なのではないでしょうか?
だって同じ言葉を鏡の前の自分に説教できないでしょう。
真面目に政治を考えるだけならオンラインで公開する必要など初めからありませんしね。
誰かに言いたくて仕方がないことがあったとしても
読者は本来ブロガーのサンドバッグではありませんよ。

投稿: 蔵道 | 2006年7月20日 (木) 03時32分

蔵道さん、こんにちは。ご参加ありがとうございます。
別にあなたに愚痴ってるつもりはありませんよ。
私は単に、何故今いろんなことがこうなっているのか、
一緒に考える機会にできればと思っただけです。
何をそんなにお怒りなのか、ゆっくり語り合いたい所です。

投稿: 占い師の滋夢童 | 2006年7月24日 (月) 14時02分

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