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2014年6月 6日 (金)

陰謀史観で振り返る、日本の朝鮮侵略 021

 豊臣秀吉の朝鮮出兵は、序盤こそ優位に立っていたものの、その手口の残酷さに対する現地の反発や、諸大名の疲弊、そして豊臣秀吉自身の寿命に於いても、無謀な戦いでした。

 結局、李氏朝鮮側の激しい抵抗を押し切れぬまま、秀吉の死去をもって、日本全軍が撤退、日本の敗戦に終わりました。

 にも関わらず、昨日お話しした通り、明治政府は秀吉の朝鮮出兵を、妙に高く買っているように見えます。

 そこにはもしかしたら、秀吉の息子秀頼の出生にまつわる、南朝のより根深い思惑があったかも知れません。

 秀吉には、信長や家康よりも遙かに多くの側室を抱えていたと言われていますが、その割には、秀頼と含めたった二人の子宝にしか、恵まれませんでした。

 正室のねねとの間にすら、子供がいなかったのです。

 このことから、秀吉は無精子症であり、秀頼は他の人物、例えば家臣の石田三成との子供ではないか、という疑惑さえあります。

 そこで、この疑惑と、明治政府(南朝)の秀吉に対する称揚ぶりを見ると、秀頼の実父が、南朝天皇家の何者かだったのではないか、という疑惑が生じます。

 例えば、石田三成がそうであったかもしれません。

 また、織田信長の周辺、例えば小姓の森蘭丸などにも、そうした疑いが生じるでしょう。

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