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2014年9月 4日 (木)

陰謀史観で振り返る、日本の朝鮮侵略 055

 更にもう一つ、徳川幕府が南朝系天皇家そして藤原氏に対し、必要以上とも見える用心を重ねてきた痕跡として、豊臣家の徹底した殲滅が上げられます。

 徳川幕府政権下では、今川家や吉良家といった、旧足利家の主力分家や、織田家でさえも、旗本として家名を保っていました。

 今川家に至っては、かつては徳川家康が人質に取られた家であり、徳川四天王の一人、井伊家にとっても、井伊直虎公の代に改易された、遺恨の相手でした。

 家康はまた、天下統一後、かつての宿敵だった武田の家名を復活させています。

 このように、徳川幕府は、かつて敵対した武家相手の存続にも、意外と温情を見せているのです(と見せかけて、主力分家を飼い殺しにすることで、旧足利派を取り込む狙いもあったかも知れません)。

 ところがその徳川家が、豊臣家だけは根絶したのです。

 只の百姓上がりの豊臣家なら、他の家の例を挙げれば、旗本に格下げした上で存続を認め、豊臣派の懐柔に使うことも出来たはずです。

 言い換えれば豊臣家には、徳川家にとって絶対的抵抗勢力になり得る、強い血統があったのかもしれません。

 となると、豊臣秀頼はやはり、子種に恵まれない秀吉の実子ではなく、南朝系天皇家の血を引いていた、という可能性も考えられます。

 相手に日本統一の、秘めた正当性がある、という恐怖が、徳川家康を豊臣家断絶へと追いやり、更にその背後を探るべく、水戸学を発達させたと言えます。

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