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2014年9月 5日 (金)

陰謀史観で振り返る、日本の朝鮮侵略 056

 昨日は、徳川家康が豊臣家断絶に腐心した、と書きましたが、後に天草四郎が千成り瓢箪を旗印に掲げたり、明治新政府が豊臣家の家紋と類似した紋章を使ったりと、豊臣の末裔が根絶を逃れた形跡があります。

 もし私が考えるように、明治天皇が天草四郎、ひいては豊臣秀頼の末裔であり、南朝系天皇の正統な血族だとすれば、それを守るための南朝方の工作も、徳川幕府の攻撃力を凌ぐだけの、徹底した物だったでしょう。

 事実、天草四郎のご落胤誕生を恐れ、島原の乱平定後、天草四郎の軍に参戦した者は、女子供に至るまで、上から石を投げ落とされて、皆殺しにされました。

 そして徳川幕府は一方で、天下統一とほぼ時を同じくして、李氏朝鮮と和解しています。

 つまり李氏朝鮮が、日本の朝鮮侵略の悪は、豊臣家一つによるものと認め、徳川家の謝罪を受け入れた形になっています。

 裏を返せば、豊臣家は極東の平和を乱すテロリストとして、日本と李氏朝鮮、そしておそらくは清国にまで、認知されたと言えます。

 となれば当然、豊臣家を李氏朝鮮へのテロに駆り立てた勢力を、徳川幕府としても調査したでしょうし、そこに南朝の影が確認できたからこそ、敵の心情分析としての水戸学が成立した可能性があります。

 また、豊臣家の末裔を名乗る勢力、例えば天草四郎が、亡命し潜伏する先は、徳川幕府と李氏朝鮮が諜報の限りを尽くし、情報交換していた状況では、両国そして清国になり得た可能性は無かったでしょう。

 つまり天草四郎が亡命先として、フィリピンの日本人街を選んだのは、三国の諜報網から逃れる為であり、やはり天草四郎が豊臣(南朝系天皇)の末裔だった、という自覚に基づいた行動だった、と言えるでしょう。

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