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2014年11月27日 (木)

陰謀史観で振り返る、日本の朝鮮侵略 068

 私はここで、日本の朝鮮侵略に影響を及ぼした書籍の一つと呼ばれる「水戸学」が、あくまで武家の潜在的な敵対勢力としての「南朝」の心情分析であり、それが幕末に曲解された、という説を取っています。

 そして徳川家康が、腹心の井伊直政に、石田三成の旧領であった彦根を与えた理由は、石田三成の背後に南朝の存在があり、それが豊臣秀吉を朝鮮出兵に駆り立てた可能性を、調査させる為だったと言えます。

 そしてそれと呼応する様に、井伊家が徳川家の肝いりで、不可解な人事を行っています。

 井伊家が徳川氏に仕える直前、ちょうど織田信長が猛威を振るっていた頃、井伊家は今川の配下でしたが、武田との同盟を重視する今川氏に嫌疑を掛けられて冷遇され、井伊家直流の男性達や、多くの家臣達を失い、井伊直虎公は今川氏真によって改易され、さらに領土回復後には、武田信玄の猛攻によって、井伊谷は壊滅します。

 これら一連の受難の後、井伊直虎公は井伊直政公を、徳川家康公に仕官させ、直政公は家康公の警備をはじめ、合戦や政治でも手腕を発揮し、関ヶ原では「井伊の赤鬼」として、精鋭大部隊を率いる侍大将となりました。

 そして井伊直虎公の改易に際し、直虎公と共に今川に抵抗したのが、「井伊谷三人衆」と呼ばれる土豪で、後に直政公の下で活躍しました。

 しかしながらその一人、鈴木重時の息子、鈴木重好は、水戸家の家老としてヘッドハンティングされました。

 しかもその当初は、高齢による引退であるとか、彦根城築城での粗相による解雇などの理由が挙げられるなど、いささか乱暴な理由が述べられたとう説がある割には、むしろ禄高も高い水戸家への栄転と言える転勤となり、正直現代人が考える、シルバーのお仕事や天下りとは、明らかに一線を画したヘッドハンティングでした。

 それだけ重大な人事異動だった割に、徳川家と井伊家が口裏を合わせて、大した人事ではないような説が伝わったのは、もしかしたら鈴木重好が、密命を帯びていたからではないでしょうか。

 そして転属先が水戸藩の老中、ということは、井伊家が行った石田三成の調査結果を、水戸藩に届ける為に転属した、と見ることが可能です。

 そしてそれによって成立した「水戸学」が、南朝の心情を精査に分析したものであった、ということは、少なくとも石田三成の背後に南朝があり、それ故に石田三成が、南朝の存在感を示すために、豊臣秀吉に朝鮮出兵を唆した、と見て間違いないでしょう。

 あるいは、豊臣秀頼が、淀君と石田三成がなした不義の子、という説もありますが、もしかしたら石田三成自身が南朝の皇子で、秀頼には南朝皇子の資格があった、というオチかも知れません。

 そして豊臣秀吉が、南朝皇子の建前上の父親となったという認識が、どこかであったからこそ、征夷大将軍ではなく関白に任ぜられた、と見られるのではないでしょうか。

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