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2015年8月

2015年8月20日 (木)

陰謀史観で振り返る、日本の朝鮮侵略 074

 先日振り返ったように、島原の乱には明らかに、反徳川幕府を明確に打ち出した、テロ戦争という側面がありました。

 元凶とされた松浦家と寺沢家は、反乱軍鎮圧後とはいえ、処罰により改易されたので、実質的敗戦と言えるでしょう。
 そして九州の殆ど全ての有力大名たちが、幕府軍として参戦していながら攻めあぐねたというのは、単なる一揆を超えて、明らかに強過ぎです。
 そしてここで気になるのは、当然の如く反乱軍に参戦した浪人たち、つまり旧豊臣家臣の大名が、実は日本の庶民を顧みない残虐な覇権主義者だった、という事実です。
 特に最悪だったと、ポルトガルやバチカンの公式記録にも書かれていたのが、キリシタン大名の代表格、高山右近でした。
 豊臣秀吉が高山右近を改易し、国外追放した理由は、50万人とも言われる日本女性達を、女性一人につき火薬一樽という交換レートで、海外に人身売買し、戦力を蓄積していたからでした。
 そしてこのときの武力や資金が、石田三成や小西行長ら、関ヶ原西軍の戦力となったと考えられることから、島原の乱でも使用された可能性は高いでしょう。
 そして島原の乱でも、反乱軍への参戦を強要された農民もいましたし、市内では略奪を受けた商家もありました。
 つまりキリスト教的とか、農民解放といったモラルは、ある程度無視されたテロ戦争だった、と考える方が自然です。
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2015年8月19日 (水)

陰謀史観で振り返る、日本の朝鮮侵略 073

 先日は、明治維新そして朝鮮侵略を唱えた「維新の志士」達が、その実侍の中でも少数派で、毛利家に滅ぼされた、大内家の旧家臣団を中心とする浪人ネットワーク出身だった可能性があり、そしてその活動が実は、島原の乱にも影響していた点に着目しました。

 ここで、島原の乱を一度振り返ってみましょう。

 ★島原の乱【リンク】

 島原の乱は、松浦家と寺沢家による過酷な年貢が引き起こした百姓一揆である、あるいは潜伏していたキリシタンの反乱、と正史では永年見なされてきましたが、実際には旧豊臣系大名配下だった浪人達が主導していたようです。

 そしてこの中には書かれていなかったものの、大内家との地盤とも近い地域でもあることから、反徳川色の強い外様大名の家来として潜伏していた、旧大内家家臣達が、直接姿を現さない様に、他の浪人達をまとめていた可能性もあります。

 また当然、島原の乱から生還した浪人達を、外様大名への再仕官を斡旋、または影で生活費を援助するなど、旧大内家浪人達が、そのネットワークを駆使して浪人達を助け、後に明治維新で彼らに味方する下級武士達を増やしていったことも考えられます。

 更に言えばこの一揆勢は、単なる烏合の衆の反乱や、破れかぶれの暴動と見なすには、余りにも強すぎました。

 松浦家と寺沢家は、圧政で大規模一揆を招いたのみならず、鎮圧にも失敗した罰により断絶し、更に九州の有力大名が参戦するも鎮圧仕切れず、遂には幕府軍の切り札、松平伊豆守の参戦によって鎮圧されました。

 結局破れたとはいえ、貧しい浪人や百姓達が、幕府軍相手にここまで善戦できたのは、果たして士気が高かっただけでしょうか?

 浪人の参戦から考えられるのは、彼らが藩から奪った武器弾薬のみならず、関ヶ原の遺物となっていた軍資金や、使い損ねた火薬や武器を、島原の乱に持ち込んだからではないでしょうか。

 そして勿論、表向きは幕府軍だった島津家も、天草四郎がフィリピン日本人街に亡命したという伝承があり、島津家がフィリピンとの密貿易で明治維新の軍資金を稼いでいたことから、影で一揆軍を支援していた可能性もあります。

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2015年8月18日 (火)

陰謀史観で振り返る、日本の朝鮮侵略 072

 先日は、明治維新そして朝鮮侵略を唱えた「維新の志士」と呼ばれる下級武士達の活躍が、彼らが藩内でもむしろ少数派だったという事実を振り返り、不審に思えると言及しました。

 すると後の薩長土肥という、一見すると地理的に離れた下級武士達の活躍の背後には、秘密結社めいたネットワークがあっても、決しておかしくはない背景が見えてきます。

 というのも、毛利家台頭以前の有力大名で、こうした地域に影響力を持ち得て、しかも朝鮮半島の旧王家である百済の末裔を名乗っていた、大内家の意思が見えてくるのです。

 最近のメディアでも指摘されていますが、長州藩の下級武士と称される維新の志士たちは、毛利家主体の長州藩内では、むしろ少数派だったにもかかわらず、欧米からの出資を得て藩内を自分たち派に仕立て上げ、倒幕を成し遂げましたが、彼らの殆ど全てが、大内家の旧家臣の家出身だったのです。

 そう見れば、大内系浪人という一大ネットワークが、江戸幕府成立直後も、薩長土肥という南国の外様大名を中心に、漫然と生き延びていたものが、明治維新という契機を得て、国内統一勢力に返り咲いたと見ることが出来ます。

 そして島原の乱も、彼らが結束を確かめるために、百姓一揆を足がかりにして起こしたイベントと見ることも出来ます。

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2015年8月17日 (月)

陰謀史観で振り返る、日本の朝鮮侵略 071

 皆さん、明治維新そして朝鮮侵略を唱えた「維新の志士」と呼ばれる下級武士達の、余りの活躍振りを見て、不審に思ったことはないでしょうか?

 皆さんもご存じの通り、彼らは一見すると離れた地域出身の、しかも下級武士達でした。

 薩長土肥と呼ばれますが、内実は大河ドラマ「花の乱」でも扱われている通り、彼らは藩内でもむしろ反体制派で、藩内でも強い抑圧を受けてきたにも関わらず、藩内の体制派を逆にやり込めて、倒幕を成し遂げるだけの膨大な戦力を手に入れました。

 その経緯自体が怪しい、と言えないでしょうか?

 そして彼らの内、主要なメンバーが揃って撮影されたと言われる写真が、フルベッキ写真です。

Verbeck_picture

 その後の結束力を見ても、彼らが明治維新以前からネットワークを持ち、幕府に気付かれない様に密かに秘密結社めいたものを結成していた、その可能性は本当に皆無でしょうか?

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